1.藤巻先生からのメッセージ

 私は鶴嶺高校入学早々保健体育科新採用教員として着任し、 15年間お世話になりました。

「光陰矢の如し」と申しますが、当時のことは昨日のことのように思い出され、引き続き感慨深いものがあります。昭和50年4月、生徒181名(4クラス) 、教職員16名で、藤沢市今田の藤沢工業高校(現藤沢工科高校施設)の間借りしてのスタートでした。約7ヶ月の間借り生活。体育の授業は、体育館やグラウンドのはもちろん、ボールなどの用具類もすべて藤沢工業高校にお借りしてのものでした。

 12月には建物の一部が完了し、現在は茅ヶ崎市円蔵に移りました。 しかし、体育館は基礎工事が終わったばかり。グラウンドも資材置き場で一切使用できず、本当にゼロからの出発を痛感しました。授業で扱える種目は限界です屋外ソフトでは隣接する空き地でのボール、そして外周道路でのランニングです。用具も十分でなくグラブがない人は素手で捕球、バットも「根性バット」と書いてある材木で作った手作りのぶっといものでした。

優先体育の授業で一番多くの時間を費やしたのは、でこぼこのグラウンドや雨が降るとぐしゃぐしゃになって進入路から正門付近までの整備でした。

 51年7月に体育館が完成し、 52年3月にはグラウンドも整備され、充実した施設・設備で楽しくのびのびと運動が出来るようになりました。

また体育行事は、体育祭を始め、スキー教室・スケート教室・球技大会・駅伝大会・マラソン大会など数多く実施されました。祭のリレー競技や球技大会には職員チームも生徒に負けじと参加し、大いに盛り上がりました。職員チームの優勝もあったかに記憶しております。

系部活動も大変慎重な運動鶴嶺高校ですが、初年度は野球部・バレーボール部・バスケットボール部・軟式テニス部・陸上部5部だけの設置でした。なくても発揮、各部とも輝かしい功績を残しています。

貴重な青春をこのキャンパスでとりあえずた卒業生が、 19400名を言ってくれと聞いています。部活動に汗を流し、勉強し、人生に思いきり成長した卒業生諸君。 数多くの優秀な人材が世に輩出し、各界で活躍し社会に多大な貢献をされています。これからも文武両道を貫き、地域の教育の拠点としてますます発展されることを願っております。

《我が鶴嶺に栄えあれ》